株主婦でゅんこに質疑応答
株主婦でゅんこは何歳から投資をスタートしたの?
株主婦でゅんこは、0歳から親が口座を作り投資をスタート
ほら出た、株主婦でゅんこって富裕層の生まれで上級国民じゃん俺たちとは位が違う人なんでしょもう聞きたくないわ。
ちょちょっと待ってください話しを聞けば、あなたに得する話しを聞けますから私のことは嫌いでも読みすすめてください。
父はバブル期には最高年収800万円いきましたが、1970年代のオイルショックの時は会社が倒産して半年間社長のために無給で働くなど昭和の団塊の世代で男気あふれる人でした。高卒で中小企業のジャンパーを着て自転車で会社まで通勤するという庶民的な勤勉なサラリーマンです。
母は商業科で簿記の資格取得しただけの平凡な高卒でしたが、田舎から上京してきて親戚の紹介で有名政治家や某酒メーカーの会社の役員の方が出入りするような税理士事務所に、税理士の先生たちの間ではちょっと名の知れた先生の元で秘書をしていました。
独身時代に母は投資や税金について勉強をして、そんなお金のことに詳しい母の知性や教養に父は惚れてお見合い結婚が成立して兄と私2人子どもを持つ家庭を築くことになりました。
父は1999年50歳という若さで亡くなりました。
父は44歳で病気により働けなくなり、母は介護の合間にできる訪問介護の仕事月8万円ぐらいだったと思います。そんな低所得な家庭で育ちましたが、お金には困りませんでした。
高校・ホームステイするための海外渡航費・救急救命士なるための専門学校の学費は全額親が出してくれました
養育費を一切受け取っていない母子・父子家庭や未婚の母でシングルマザーの元で育てられた人や産みの親を知らない児童養護施設で育った人たちと比べれば、
お金については母から甘やかされて育ったなと30代をすぎてやっと反省して結婚してからは親からの援助には一切頼りません。と宣言して今にいたりますので
まあ~20代の私は救急救命士の試験は落ちるし、消防学校の訓練中に倒れて救急車で運ばれ初の女性消防士として期待されて入職しなにも関わらずけがや病気により自主退職
22歳当時、普通に会社員やるか大人しくお見合いでもして結婚して専業主婦にでもなっていればいいものを整体のお店を開業するし
やりたいことをわがままに実現させていく母子家庭で育てた母から考えれば消防士として立派に社会に出るはずの娘がなんでこんなことを始めるだと理解に苦しむ行動をする娘だったと思います。
そんな親をハラハラドキドキさせるような株主婦でゅんこがお金に困ることがない理由は
長期投資を0歳からスタートしていたからです。
投資は早ければ早い方がいい
なぜなら複利というものを味方にできるからです。
高校の時にSUBWAYというサンドウィッチチェーン店で時給750円からスタートして、普通のサラリーマンをやっていただけでは23歳でテナントを借りて家賃を払い整体のお店を開業するという夢は実現できなかったと思います。
お金持ちになるためには雇用→副業→企業→投資という手順でやりましょうと書かれている本が多いですが
令和の子どもたちは、
- 0歳から銀行口座を持ち毎年1月お年玉やお小遣いで積み立て投資
- 7歳でメルカリやフリーマーケットの販売などの副業で商売の基本を学ぶ
- 10歳小学3年生の時に、銀行口座の残高と投資している商品について親が説明
- 15歳で高校か大学に飛び級で進学か雇用か起業か親からの事業を継承かを選ぶ
ここまで読んでいただいて、じゃあ私はどうすればいいの?と感じた人は
証券口座開設して株を買いましょう
そして、いいなと思う商品を1万円買いましょう。
リスクは1万円失うことだけですから、1000円の投資本を10冊買うよりも素晴らしい学びが得られるでしょう。
そこで1つだけ注意があります。
あなたが例え1000万円貯金がある人でも1万円が2万円に倍になったと調子に乗って、同じ商品を100万円買い200万円にするぞと大儲けしようとするのは辞めましょう。
こういう忠告をしても、最初のビギナーズラックで10倍とか資金になった人は最悪です。
最初の当たったという成功体験が、また次もあると思うようになり2回目損失して失敗したとしてもまた次と10回ぐらい連敗して一気に資金が0円なんて人はたくさんいます。
まずは欲を出さずに、勉強代として1億円資産がある人でも投資超初心者であれば100万円までにしておきましょう。
貯金300万円以下の人は40万円までです。
それ以上の損失を出すと精神的に立ち直るまでの時間がかかり、また投資したいという意欲が失われるからです。
損失して精神的なトラウマにならない程度に、投資はあくまで自己責任でやりましょう。
ここまでのお話しを聞いていかがでしたか?
収入アップって難しいものだと考えていたけど実は小学生でもできます。
日本は武士や貴族などの特権階級以外の人は、昔から商売をして年貢を納めていました。
子どもたちは農家であっても余った作物は誰かに売るわけですから商売をしているうちに読み書き計算ができるようになると必要に駆られて、寺小屋にいき学んだのです。
本来勉強とは、いい大学に入りいい企業や公務員として就職するためのものではありません。
学びたいことが見つかったから学ぶのです。
株主婦でゅんこは特殊な家庭環境に育ったため、親からお金持ちになるために知恵を授かりました。
ただ、世の中の80%の人はお金持ちになる方法を知りません。
学校で教えてくれないことは自分で学ばないといけません。
学ぶって面白いということがわかれば、あなたは幸せなお金持ちになる扉を開くことができます。
まずは行動すること、お金持ちになりたいなと考えているだけではお金持ちにはなれません。
失敗や挫折を経験してこそ自分を成長させることができます。
でゅんこという名前の由来は
ヒトデブログでサイトに、プロフィールの相方のせいやだとエゴサーチした時に自分を書いている話題を検索しにくいため、人間ぽくあだ名みたいな名前をつけるといいと書いてあり、本名は同姓同名が多数あるから却下だし、なんかあるかな~と思い出したのがでゅんこでした。
高校の日直の黒板にでゅんこと親友が書いていたのであだ名として定着
その後、ネット上やmixiのハンドルネームに使う
また、Fというバンドが10代の頃インディーズで活動していた頃にボーカルのYさん公認でファンクラブサイトを女子3人立ち上げその時にカキコというハンドルネームでファンとミュージシャンが直接やりとりできるスレッドで書き込んでた名前がでゅんこでした。
Fがメジャーデビュー時に、所属事務所からファンクラブサイトは閉鎖するように要請があり、ファンクラブサイトを閉鎖
ただ、メジャーデビューして気軽に会えないとはいえ、いつまでも応援しているよという気持ちを彼らに伝えるためにauリスモのインストアライブ、初の全国ツアー、初の大阪城ホールライブ、武道館ライブなどの節目で花を贈る時にでゅんこという名前でお祝いするや毎年年賀状やファンレターの名前がでゅんこという特徴的な名前なためスタッフさんにも覚えていただけました。
※所属事務所にこの記事を書いてよいのか?許可を得ていないため具体的なバンド名は書かずにFとさせていただきました。
なんで本名名乗らないの?
消防士時代に不祥事を起こして、解雇になったから匿名で活動しているのではありませんので、怪しいものではありませんのでご安心ください。
経歴にも書かせていただきましたが、けがと病気によりやむを得ず退職させていただきました。
女性消防士を受け入れるために、市民の税金を投入して女性専用の更衣室を用意するなどしていただいたのに本当に無念です。
みなさまのご期待に応えることができなくて本当に申し訳ございません。
後は、今まで整体のお店を開業した時は本名を名乗りインターネットサイトを運営していたので、匿名でサイトを運営したらどんな反響になるのだろう?
今までの自分の失敗や過去の栄光をリセットした状態でもどれだけのみなさんに役立てる情報発信ができるのかという実験をしてみたかっただけです。
テレビや講演会のオファーがあれば顔出しで出演します。
テレビ出演実績
Mr.サンデー – フジテレビ (fujitv.co.jp)
フジテレビのMr.サンデーから取材依頼がありテレビ出演させていただきました。
4月17日日曜日22時放送
円安の影響で、物価上昇が止まらない
小麦の値上げで、一升炊きの炊飯器を買う主婦
朝・昼・晩、お米を中心に食事を変更して、
2日分のごはんを一度に炊くことで、電気代の節約にもなる
一般主婦の節約&節電テクニックを視聴者様に伝授するような番組内容となっております。
今回は、娘と一緒に顔出しの共演となりました
テレビ局のプロデューサーさんの配慮で
娘を顔出しするリスクとして、本名や株主婦でゅんこではなく仮の名前田中という形で出演となりました
他局の方も、株主婦でゅんこさんにぜひ、NISA口座活用法や節約&節電について伝授して欲しい等など出演依頼がありましたら、顔出しで出演しますので
お問い合わせフォームかTwitterのDMにてオファーよろしくお願いします。
ブロガーになろうと思ったきっかけは
初めてブログを書いたのは18歳の時、ライブハウスのライブレポートや女子のたわいもない日常を書いていました。
Fのファンクラブサイトを女子3人で立ち上げた時にアフィリエイト収入の存在は知っていました。
2004年当時はアフィリエイトの収入を得るための書籍はほとんどなく、アフィリエイト 検索クリックで出て来るものは30~100万円する怪しい情報商材。
友人となんか難しいそうだし、まだ当時インディーズとはいえFの人気に便乗してお金稼ぐのもな~という感じで辞めておこうという話になりました。
消防士を目指さない特に何も夢がない普通の女子大生とかであれば、ボーカルのYさんに許可をもらったサイトだし、運営で得たお金はどうするのかは、彼らと相談しながら、Fの公式サイトもアフィリエイト収入という形で運営していたら夜勤のバイトやビル窓ガラス清掃とかせずにバンド活動費ぐらい稼げて、Yさんも私も事業を立ち上げ、個人事業主同士WinWinの関係だったのかもな~と思う時もあります。
整体のお店を開業した時は師匠がアフィリエイトなんて勉強する時間があるだったら、技術を磨いて結果をだし、集客はチラシ配りと口コミで頑張れ
無料でブログは運営するものだ
職人気質の師匠であったため、ここのグループに所属している以上変なことはできないな~と考えて断念
結婚が決まり、開業していたお店から離れた場所に住むことが決まり、整体のお店を閉店。
所属していた整体のグループを退会
NISA口座開いて分配金が毎月入ってくるし主婦業に専念しようかな~
自由になれたはずなのに、このままでええのか?
今まで、20代で先生と呼ばれるような仕事をさせていただいて人前に立つことが当たり前で生まれ育った街で開業したため街を歩けば、地元の同級生やお客さんなどに声をかけらることが多かった私が新しい街に引っ越ししてきて
私のことを誰も知らない
最初は、新鮮で楽しかったけど何もしゃべらない赤ちゃんと24時間過ごすだけだと、あれだけキレッキレに言葉が出てきて人前で話すのが上手な私が
夫から、何言うてるかわからないもう一回説明してと言われた時に
アレ!?話すスキルが完全に落ちているなと気がつきました。
このままじゃ私ダメになる。私は何をするのが夢だったのかな
書き出してみると本を出版することでした。
よし、今日から私は作家だ
まずは、Amazonで電子書籍出版しようと本の執筆をワードで黙々と書いていたけど、このままじゃ永久に出版社からのオファーは来ないなと考えたため、noteという媒体でブログ開設したら、出版社の人が見てるという情報を知り、無料ブログでの発信を2020年12月からスタート
「幸せな結婚生活を過ごすためのお金の話」という誰もが知りたいことだけど、テーマが大きすぎて書くことが膨大すぎるな~
もっと、具体的な○○さんが私のブログを読んで人生が変われたみたいな一人一人の人生にとって役に立つ情報を発信したいな
と考えていた時に、ヒトデブログとヒトデせいやチャンネルに出会う
そうか、私が本を出版して読者の人生が変わるぐらい影響力を持つ人になるという目標は
ブログでも叶えられるじゃんと気づいて
ブログのサイトを運営して、ブロガーになることになりました。